8月8日ということで

かんじゃにえいとが大すきでかんじゃにえいとが大すきだった頃もありました。今のわたしはすばちゃんのいるチームだからかんじゃにえいとがすきです。すばちゃんがいないものには興味がありません。すばちゃんが100点なら100%たのしいしすばちゃんが20点ならすっごくつまらない、そういう気もちに変化しました。いいとも悪いともありません。わたしはただすばちゃんがすきなだけでいいです。

でもね、ときどきおもうことがあって、たとえばもしわたしがよこやまさんのファンだったとしたらきっと今わたしが見ているかんじゃにえいととはちがうかんじゃにえいとが見えていたんだろうなぁておもって、よこやまさんのファンになって見るかんじゃにえいとはすっごくすっごくあったかくてしあわせでかわいいんだろうなぁておもうのです。よこやまさんがファンのために考えてくれたことっておもうだけでぜんぶがかわいくてぜんぶがすてきでぜんぶがあったかくてぜんぶが最高で最強なんだろうなぁておもうのです。すばちゃんのことがすきすぎてめんどくさい感情ばっかりが渦巻いていてべつにそれでしあわせだしそうなったことは自業自得だしすばちゃん以外のだれかをすきになろうなんておもっていないけれど、でももしわたしのすきなひとがよこやまさんだったらもっと穏やかに純粋にかんじゃにえいとごと愛せていたんだろうなぁておもって、そんな世界も見てみたかったなぁておもうのです。

でももうわたしはかんじゃにえいとは愛せないし、自分の見るもの以外に興味はないし、すばちゃんが生きていることが確認できればそれでいいのでそういうことでしかないのです。(生きていることがファンサだなんておもってないよ。ただすばちゃんが生きてるかしんでるかをこの目で確認するだけ。)

それと、ひとの見ているかんじゃにえいとには興味がない。わたしのなかにあるかんじゃにえいと(すばちゃん)だけでいい。だからこっちの扉は自分からは開けないしきっとだれも開けたがらないだろうからもう人脈として今以上に広がることはないとおもいます。でもそれでいいのです。狭い世界でいいのです。だって所詮趣味でしかないんだから自分のすきなようにたのしめばいいじゃないですか。同担拒否でいいじゃないですか。(すばちゃんファン(赤いひと)見るとテンションあがるしいつどこでどんなすばちゃんを見てすきになったのか知りたいし話しかけたいておもうんだけどべつにそれ以上は関わらなくていいし興味がないだけなので厳密に拒否しているわけではないのだけどね。)

共感してほしいわけじゃないし共感を強いるひとはきらいです。自分がマジョリティではないことくらいわかっています。だからこそ自分のなかで収束しているわけだしだれにも迷惑はかけていません。少しでもマジョリティな意見だからといって同調を求めるひとには神経質にかちんとくるので精神衛生のためにも無害でいるためにもやっぱりその界隈のひととは関わらないことが得策だなぁとおもう結果です。他人の同担(えいたー)はすきだけど身近には必要ありません。

知らぬ間にすっかりめんどくさいファンになりました。でもそんなファンがひとりくらいいたっていいじゃない。みんながおなじである必要はないじゃない。

だけど基本はすっごく単純で、「わたし自身がすばちゃんをすきでいられればそれだけでいい」ということです。

そんな気もちで迎える8周年です。